なぜ、働いていると暮らしを失ってしまうのか?

こんにちは、家事シェア研究家の三木です。
今日はちょっと一緒に考えてみたいテーマについてお話します。
そのテーマは、
――なぜ、働いていると暮らしを失ってしまうのか?
この問いは、書評家の三宅香帆さんの著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んでいて、僕の頭に浮かんできた問でした。
仕事や育児に追われていると、僕達は「自分の暮らし」を失ってしまう。
そもそも「暮らし」って「仕事以外の時間」って認識が広がっている気がしていて、それって何か違うよなって思っていました。
変化の激しい社会のなかで、働き方やスキルのアップデート、AI活用、副業といった話題が日々飛び交っています。
また、「丁寧な暮らし」に代表されるような、手作りや豊かさを追い求める情報も溢れています。
だけど、僕自身で言うなら、仕事に熱中して人生を注ぐタイプじゃないし、かといって「丁寧な暮らし」に傾倒できるほど、豊かな暮らしへの憧れもない。
つまり、ものすごく中途半端なんです。
そこそこに仕事はがんばるし、自分がやりたいと思っている仕事をしている。
暮らしにおいても、まあそれなりに心地よく、ほどほどにキレイを維持しながらやっている。
でも、最近思うんです。
その「中途半端」って、もしかしたら“ちょうどよさ”なんじゃないか? って。
がんばりすぎない。
でも、投げ出しているわけでもない。
やるときはやるけれど、力を抜くときもちゃんとある。
そんなふうに、仕事と暮らしを適温で回すという感覚が、じつは今の時代に必要なんじゃないかと思うようになりました。
たとえば、洗濯物を干しながら娘としゃべったり、夕飯を作りながらYouTubeで怪談(怪談好きwww)を聞いてみたり。
そんな“ついでの時間”にも、案外たくさんの豊かさが転がっている。
暮らしって、本当は特別なことじゃなくて、
日常の中にちゃんと息づいているものなんだと思います。
でも、そういう何気ない時間って、
「成果」や「意味」みたいなわかりやすい価値基準では測りづらいんですよね。
だからつい、仕事のほうが優先されて、「暮らし」があと回しになっていく。
暮らしているはずなのに、“暮らしてる感”がどんどん薄れていく。
今回、そんな働くことと暮らすことの間にある“モヤモヤ”を一緒に言葉にしていくイベントを開催します。
「なぜ働いていると暮らしを失ってしまうのか?」という問いに、明確な答えはないかもしれないけれど、考えてみること自体が、もう“暮らしを取り戻す”一歩になるのではと思っています。
僕のほうからもいくつか問いを投げかけますし、みなさんからのコメントも拾いながら、双方向でじっくり考える時間にできたら嬉しいです。
今のあなたにとっての「ちょうどいい」って、なんですか?
その「ちょうどよさ」を誰かと話す機会、最近ありましたか?
がんばりすぎなくていい夜、正解を求めない対話の場で、あなたの暮らしについて、一緒に立ち止まって考えてみませんか?
ご参加、お待ちしています。
イベント詳細
日時:2025年5月9日(金)20:00〜21:00
形式:Zoom(ライブ配信/コメント参加)
内容:トーク+参加者のコメント交えた対話セッション
参加費:
・早割チケット(先着10名):1,000円
・通常チケット(10名):1,500円
アーカイブ配信:なし
最小催行人数:3名(前日20時時点で開催判断)
📻️このテーマについてVoicyでも少しお話しました!
すでに登録済みの方は こちら